2016年01月28日 JR千綿駅 長崎県東彼杵郡東彼杵町にあるJR大村線の千綿駅は海沿いにある眺めのよい駅です。昭和3年に建てられた駅舎は改装されつつも、レトロなイメージを残したままです。丸型ポストもよく似合います。駅舎内には図書スペースと昨年オープンしたカフェがあります。ホームに入ってみました。駅舎から一段高いホームに上がると大村湾がすぐ目の前に広がります。ちょっと肌寒かったですが、せっかくですので駅舎の海側に置かれたベンチでウミヒコーヒーをいただきました。温かいコーヒーを飲みながら海を眺めて過ごしているとやがて長崎方面からシーサイドライナーがやってきました。ハウステンボス仕様の快速列車はそのまま駅を通過して海沿いの線路を大きくカーブし佐世保方面へ向かって行きました。千綿駅、ロケーションの良いなかなか素敵な駅です。 タグ :#鉄道
2016年01月16日 JR南風崎駅 南風崎駅と書いて、はえのさき駅。数ある難解駅のひとつかもしれません。長崎県佐世保市にあるJR大村線の駅で、古くは明治時代から歌われた「鉄道唱歌」に「南の風をはえと読む南風崎(はえのさき)過ぎて川棚の・・・」とあるようにこの歌から読み方の珍しい駅名として全国に知られましたが、同時に太平洋戦争終結時において深い歴史を刻んだ駅でもあります。当時、現在のハウステンボスの周辺に浦頭港という港があり南風崎駅はその接続駅になっていました。太平洋戦争の敗戦後、1945年10月から1950年4月にかけて多くの復員者、引揚者の人たちが中国や東南アジアからこの地に戻ってきました。やっとの思いで祖国に着いた人たちは針尾の浦頭で検疫を受け、針尾救護局に収容され、旅の疲れをいやした後この駅から引揚列車に乗ってそれぞれの故郷に帰っていったそうです。当時は南風崎駅発東京行きの不定期普通列車も運行されていて期間中、引揚列車と一般列車を合わせてその数なんと1685本佐世保港浦頭への引揚者の総計1396468人そのほとんどの人が利用したであろうこの南風崎駅は故郷への始発駅でもあったわけです。2面2線の相対式ホームの駅です。無人駅にしては長いホームは当時の長編成の引揚列車に対応していたためでしょうか。その横には現在使われていないホームと線路も残っていました。駅名標のイラストは風車下り方面の踏切近くから列車を撮ってみました。ハウステンボス関連の建物がどこか外国を思わせるような風景です。懐かしさを感じる旧国鉄カラーのキハ66終戦当時からすっかり様変わりした現在の駅周辺の風景は当時の引揚者の方々からすれば、想像もつかなかったことでしょう タグ :#鉄道