中島の鉄道ブログ

九州内の鉄道、主に駅巡りなどを中心としたブログです。 ご覧いただきありがとうございます。

カテゴリ: 大村線

長崎県東彼杵郡東彼杵町にあるJR大村線の千綿駅は海沿いにある眺めのよい駅です。
a90dfeae.jpg
昭和3年に建てられた駅舎は改装されつつも、レトロなイメージを残したままです。
丸型ポストもよく似合います。
fc56ced1.jpg
駅舎内には図書スペースと昨年オープンしたカフェがあります。
647d1372.jpg
ホームに入ってみました。
駅舎から一段高いホームに上がると大村湾がすぐ目の前に広がります。
632c94b6.jpg
ad7de47e.jpg
ちょっと肌寒かったですが、せっかくですので駅舎の海側に置かれたベンチで
ウミヒコーヒーをいただきました。
1f5d1aed.jpg
温かいコーヒーを飲みながら海を眺めて過ごしていると
3047c476.jpg
やがて長崎方面からシーサイドライナーがやってきました。
ハウステンボス仕様の快速列車はそのまま駅を通過して
a510e8c9.jpg
海沿いの線路を大きくカーブし佐世保方面へ向かって行きました。
bffcc02c.jpg
千綿駅、ロケーションの良いなかなか素敵な駅です。

南風崎駅と書いて、はえのさき駅。数ある難解駅のひとつかもしれません。
長崎県佐世保市にあるJR大村線の駅で、古くは明治時代から歌われた「鉄道唱歌」に
「南の風をはえと読む南風崎(はえのさき)過ぎて川棚の・・・」とあるように
この歌から読み方の珍しい駅名として全国に知られましたが、
同時に太平洋戦争終結時において深い歴史を刻んだ駅でもあります。
8ad6468f.jpg
当時、現在のハウステンボスの周辺に浦頭港という港があり
南風崎駅はその接続駅になっていました。
太平洋戦争の敗戦後、1945年10月から1950年4月にかけて
多くの復員者、引揚者の人たちが中国や東南アジアから
この地に戻ってきました。やっとの思いで祖国に着いた人たちは
針尾の浦頭で検疫を受け、針尾救護局に収容され、旅の疲れをいやした後
この駅から引揚列車に乗ってそれぞれの故郷に帰っていったそうです。
a0708cd9.jpg
当時は南風崎駅発東京行きの不定期普通列車も運行されていて
期間中、引揚列車と一般列車を合わせてその数なんと1685本
佐世保港浦頭への引揚者の総計1396468人
そのほとんどの人が利用したであろうこの南風崎駅は
故郷への始発駅でもあったわけです。
028fddbb.jpg
2面2線の相対式ホームの駅です。無人駅にしては長いホームは
当時の長編成の引揚列車に対応していたためでしょうか。
cd312f7e.jpg
その横には現在使われていないホームと線路も残っていました。
443d4189.jpg
駅名標のイラストは風車
1a71507e.jpg
下り方面の踏切近くから列車を撮ってみました。
ハウステンボス関連の建物がどこか外国を思わせるような風景です。
6b397d60.jpg
懐かしさを感じる旧国鉄カラーのキハ66
c7525376.jpg
終戦当時からすっかり様変わりした現在の駅周辺の風景は
当時の引揚者の方々からすれば、想像もつかなかったことでしょう

↑このページのトップヘ